地震、奥能登豪雨の浸水被害を経て──わじまの海塩を訪ねて(後編)

地震、奥能登豪雨の浸水被害を経て──わじまの海塩を訪ねて(後編)

2024年9月21(土)から22(日)にかけて、奥能登で猛烈な雨が続きました。前編)の取材からわずか6日後のことでした。
「あの、愛情いっぱいの製塩所はどうなってしまったのだろう」
橋本さん、中道さんと連絡とれない状況が続きましたが、11月下旬、ようやく電話がつながりました。

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製塩所の立て直しや出荷再開で大忙しの橋本さんに、お話をうかがいました。

21日、橋本さんは出張輪朝市で京都へ、中道さんは小松へ出張に行っていました。出張輪島朝市のメンバーには、家とともに、中学3年生のお孫さんが流されてしまった方もいらっしゃったそうです。

震災よりひどかったダメージ


21日は土砂崩れが発生したため、輪島へ入る道がすべて封鎖に。

「航空写真で見ると、製塩所のある地域全体が浸水していることがわかりました」

中道さんの娘さんが製塩所の様子を見にいこうとしましたが、封鎖のため行くことができませんでした。

夜の11時に道路の封鎖が解除され、翌日、娘さんが様子を見に行きました。製塩所の水は引いていましたが、事務所や製塩所は泥水が入っていたそうです。
 
散乱した事務所内部の様子 (橋本三奈子さん提供)

製塩装置は奇跡的に壊れておらず、電気も止まっていませんでしたが、

「今回のダメージは震災時よりひどかったです」

泥水が事務所に侵入し、さまざまなものが浮き、ぶつかって倒れていました。

「地震のときは動いたものを元の場所に戻せばよかったんですが、今回は使えなくなってしまったものがたくさんあって……」

 
車の中にも泥水が入り込んでいました(橋本三奈子さん提供)

断捨離だと思ってリスタート 


豪雨被害の翌週の日曜日にボランティアが18人入ってくれ、一気に片付けが進んだそうです。

「ほとんどのものは廃棄。塩を詰めるパッケージ、机、テーブル、すべてからっぽになりました。からっぽの状況から作りなおす。断捨離という感じです」

塩づくりの方も、豪雨の影響で海が汚れたため海水を採取できず、なかなか再開することができませんでした。

11月の途中からようやく製塩を始め、11月25日からやっと出荷をスタートできました。

「地震のときの方が早い時期に復活できました。今回はダメージが大きかったですね。
近くの川があふれたんです。地震の影響で丸太が橋にかかって撤去されないままだったところに泥水が流れてきて氾濫したようです」

愛情をこめてつくった塩がこんな状態に……(橋本三奈子さん提供)
いまの心境は、
「とにかく復活できてよかった」

現在、能登の塩で製塩・供給を開始できているのは、橋本さんの『美味と健康』だけとのこと。

「地震の後、珠洲の生産者と一緒に再開しようと話をしていたんです。
でも、今回の豪雨で土砂崩れが起きて、その生産者がいる地域が全体で避難している状態なので、難しくなってしまいました。

今回の水害は、地震のときは無事だった、畑や山の暮らしを直撃しました。湧水が止まってしまったところもあると聞いています」
 
スタッフが9月に訪問した際、「地震からこんなに時間が経っているのに、まだこんなに復興が進んでいないのか」と驚くほど、崩れた建物がそのままの状態で残っていました。
さらに豪雨に見舞われ、仮設住宅も浸水したというニュースに、言葉もありませんでした。

この困難な状況の中で製塩を再開されたことに、ほっとすると同時に尊敬の念を抱きます。
二度にわたる苦難を超えて再開した、貴重な『わじまの海塩』。橋本さんのメッセージ付きでお届けします。

みなさまにもぜひ味わっていただけたらと思います。

 

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