追いかけても追いかけても尽きない塩づくりの魅力──わじまの海塩を訪ねて(前編)

追いかけても追いかけても尽きない塩づくりの魅力──わじまの海塩を訪ねて(前編)

当社のスタッフは、全国を旅します。生産者の顔や商品、その裏あるストーリーに、笑ったり、胸が熱くなったり。 「知って食べると、もっとおいしい」をキーワードに、そんなお話を少しずつご紹介できたらと思っています。

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「わじまの海塩」は当社のロングセラー商品。

「お料理の味が変わる!お吸い物などだしの味がぐっと立つ。素材の味を引き出すってこういうことか、と……!」

とは、お取り扱いを始めた際のスタッフの言葉。

今回は、2024年1月1日に発生した能登半島沖地震を経て、製造・出荷を再開した石川県輪島市の『美味と健康』さんにお邪魔しました。

 

人生を変えた、わじまの塩との出会い


社長の橋本三奈子さんは、もともと東京の電気メーカーでシステムエンジニアとしてバリバリ働いていましたが、わじまの塩に出会って人生がガラリと変わりました。

この塩にほれ込み、家族を東京に残して、製塩所をつくることになったのです。 輪島に住民票を移してから今年で8年目。その魅力はなんだったのでしょう。

 
橋本三奈子社長

「当時、塩のプロモーションをしていた知人経由で輪島で作られている塩を知ったのですが、とにかくすごい、と思ったんです」
まず、当時高校生と大学生だった橋本さんの2人の娘が、その塩でつくった水炊きの汁を一滴も残さなかったことにびっくり。

「あと、りんごの実験ですね。娘のお弁当のりんごが変色しないよう、塩水にくぐらせてお弁当に入れたのに、時間が経ったら茶色になっていたんです」

なぜそうなったのか30種類ぐらいの塩で実験して原因を調べていくうちに、塩に含まれるナトリウムには変色を抑え、マグネシウムに発酵や熟成をうながす作用があることがわかりました。

 
「輪島の塩は、マグネシウムとナトリウムの比率が人間の血液とほぼ合致していました。 みなさん、マグネシウムの重要性をあまり認識されていない気がしますが、マグネシウムは人間にとって、とても大切なんですよ」

「タンパク質が分解するとアミノ酸になります。つまりうまみですよね。マグネシウムはタンパク質の分解酵素を助けるので、おいしくなる。能登は発酵食がさかんですが、麹を使わず塩だけで発酵させる食品もあります。これは、塩のミネラルバランスの力なんだと思います」

橋本さんがほれ入れたこの塩の作り手が、製塩士の中道肇(なかみちはじめ)さんでした。

2009年、橋本さんは一念発起して会社を辞め、『美味と健康』を立ち上げ、翌年退職金をはたいて輪島市に製塩所をつくり、中道さんに塩づくりを委託しました。そしてできたのが「わじまの海塩」です。

どうやったら、船の上のあの味を再現できるか?

 
製塩士の中道肇(なかみちはじめ)さん

もともと中道さんは、能登半島の沖に浮かぶ舳倉島(へくらじま)出身で、輪島で漁師をしながら干物をつくっていました。

「ずっと、輸入の魚を使った添加物だらけの安い干物ではなく、国産の魚を使って付加価値のある干物をつくりたいと思っていました。自分で釣って、船の上で開いて風に当てた魚がとびきりのおいしさだった。海水で洗うと味がつくんですね。

当時、衛生面から海水を使った干物づくりはできなかったので、どうやったらあの味を再現できるか、という思いもありました」

中道さんは、長く続いた塩の専売制が廃止となり、自然塩の製造ができるようになったことをきっかけに製塩士に転身しました。

「塩づくりは年中無休。休みは1年間で1月1日だけです。とにかく楽しいです。毎朝3時半に起きて製塩所に来ます」

塩づくりのポイントは、原料の海水からどうやって水分を取り除くかに尽きるといいます。
「いろんな方法を試してみて、最終的に、上からの風と熱で水分を蒸発させる方法に行きつきました」

 
試行錯誤の末に行きついた製塩装置

1月1日だけ休み…元旦といえば、まさに2024年に襲った能登半島地震が起きた日では……?
「そうなんです。休みだったから、製塩所の電源を落としていた。だから、漏電して火事になったりせずにすみました」

1月2日に製塩所の様子を見にきましたが、
「中の様子を見るのが怖くてね。製塩所の中は電灯が切れたり、ものがごちゃごちゃになったりしていました。それから、できていたはずの塩が全部細かくなって、溶けてしまっていた。あれは不思議で、どうしてだか今でもわからないです」
 

その後、1月19日に塩づくりを再開しましたが、なかなか納得のいく品質にならなかったといいます。 最初は粒の粗いゴツゴツの塩でした。 2月中はずっと試作をくりかえし、3月から出荷を再開しました。

塩は心を反映する


「塩は、心を反映しますから。やっと納得のいく品質になったのが、3月でした。これまで通りの粒の塩になっていたので、これなら出荷できるね、となりました」と橋本さん。

──心を反映する、ってどういうことでしょう?
 
塩の結晶

「そう、塩は心の状態を反映するんですよ。たくさん量が欲しいな、と思うと思った通りにならない。逆に、できなくてもいいや、と思ってるとわんさかできる。自分からすると、わがままな女性、みたいな感じです」と中道さん。

同じ作業をしても、不思議とつくった人によってまったく違う塩ができるといいます。
「塩はね、つくるのではなくて、『できるのを待つ』んです。人間は手助けをするだけ」

塩の結晶ができはじめるのは、夜中の12時から3時半だそう。夜があけると塩ができています。
「だから、夕方作業所を出るとき『たのんますね』って声をかけます。赤ちゃんの面倒をみているようですよ」

塩づくりのもとになるかんすい(母液)


塩づくりの奥深さ


「塩ができてくるとき、ぽこっ、ぽこっ、ぽちゃっ、ぽちゃっ、と小さな音がするんですよ。不思議なのが、満月のときにピラミッドみたいな形の、三角の塩の結晶ができること。月の満ち欠けが影響しているようです。

それから、塩の結晶は地球の自転と同じ向きにくるくる回りながら浮かんでくるんです」

 
なぜか満月のときにできるという、ピラミッド型の塩の結晶

「塩づくりの熱源(ライト)を止めると、タンク全体がぐるぐると渦をえがき始めます。タンクの中に銀河ができるんですよ」

こんなにおもしろい仕事は他にない!


「塩を仕上げるとき、手さわった感触で味を確認します。塩の結晶を手でくだいていくとき、さわった感触と輝きで味がわかります。たとえば、さわった手がしっとりしているとマグネシウムが良いあんばいになっていて、良い塩になっているとわかります」

中道さんはいいます。

「追いかけても追いかけても到達点がない。これほど、はまった仕事はありません。どんなに手をかけても、お願いしても、どうなるかわからない。刺し身をつくるのでも、かざりつけでも、練習すれば上達します。

でも塩はいうことをきいてくれません。深くておもしろいですよ。
やっぱり、『おいしかった』といってもらうことが何よりもうれしいですね」

橋本さんは、輪島朝市通りの中にあったお店が震災の火災で全焼してしまったため、現在は金沢市に事務所をうつし、輪島の復興のために、日々奔走しています。

 
「輪島朝市通りが地震の後の火事で焼けてしまったあと、出張輪島朝市をやり始めました。 金沢に二次避難している人たちの仕事をつくるため、というのが始まりです。

また、能登の塩づくりは、かつてはみんなライバルでしたが、震災で製造が再開できていないところも多いです。みんな困っているので、能登の塩の文化と事業を守るために、何か手をつないでやっていけたらと考えています。

例えば、かんすい(母液ともいう。海水を塩分25%まで濃縮した塩づくりのもとになる液)を一緒につくったらどうかと。それぞれに作る塩の作り方が違うので、母液が一緒でも個性は出せます。珠洲市の製塩事業者とコンソーシアム(共同事業体)のようなことができたらいいなと思っています」

社長の橋本三奈子さん(右)と、製塩士の中道肇(なかみちはじめ)さん
photo/by MakikoObchi

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この取材のわずか6日後、能登半島を集中豪雨が襲いました。
わじまの海塩の製塩所は浸水域に該当しており、スタッフ一同気をみましたが、橋本さん、中道さんと連絡がとれない状況が続きました。

出荷再開のFAXが届き、橋本さんと連絡が取れたのは11月下旬のことです。製塩所の立て直しや出荷再開で大忙しの橋本さんに、電話でお話を伺いました。 (後編)へ続きます。

今回、貴重な『わじまの海塩』を分けていただきました。 中道さんが『たのんますね』と声をかけて応えてくれたお塩です。みなさまにもぜひ味わっていただけたらと思います。


 

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